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| ■プロフィール |
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| 1979年3月(昭和54年) |
福岡歯科大学卒業 |
| 同年4月(昭和54年) |
福岡歯科大学矯正学講座入局
大学で学生の指導を行う |
| 1990年 8月(平成2年) |
日本矯正歯科学会認定医取得 |
| 1990年10月(平成2年) |
ひめの矯正歯科を福岡市に開業 |
| 1991年11月(平成3年) |
日本矯正歯科学会指導医取得 |
| 1999年 8月(平成11年) |
現住所に移転 |
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| ■所属学会 |
| 日本矯正歯科学会 |
| 日本小児科歯科学会 |
| 日本顎関節学会 |
| 日本舌側矯正学術会 |
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| 私は大分県の玖珠という、当時水道も通っていない、当然道路も舗装されていない田舎で生まれました。現在では切り株山がハングライダーのメッカとして有名になっているそうですが、今でも豊かな自然が残る、空気の美味しい大切な私の故郷です。 |
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| ■ 子供時代 |
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私は両親・兄・姉の5人家族の末っ子として生まれました。祖父・父・兄はみんな医者という医者一家の中で育ちました。父は素朴で裏表のない人柄で、ご近所からの信頼は厚い医者でしたが、往診で診察が終わる度にお酒を振る舞われ、行く先々で飲んではバイクで次の往診先に向かうというムチャクチャな医者でもありました。今でもよく覚えているのが、小学5年生の夏休み、父の往診用バイクに乗って大怪我をした事です。父に腕を数針縫ってもらいましたが、父はすでにかなり酔っており、子供ながらに不安でした。幸い治療は無事?に終わり、父が外科医であったことを初めて感謝しました。
外で遊ぶのが好きで、ケガの絶えない私にとっては、父が医師であることは非常にありがたかったです。 |
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| ■ 中学時代〜高校時代 |
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中学校は大分市内の付属中学校に行くことになり、親戚の家に3年間下宿しました。精神的に幼かったからか、なかなか下宿先になじめず、勉強にも身が入りませんでした。かわりに部活(剣道)や、友人達とラジコンカーで遊んでばかりいました。
部活や友人と遊ぶ時以外は辛かった中学時代でしたが、時々下宿先に母が持ってくるさば寿司が当時の何よりの楽しみでした。
高校2年の時、父が他界しました。
小学校の頃は、旅行好きで色々な所へ行ってみたいという気持ちからパイロットに憧れていましたが、視力が悪かったため断念せざるを得ませんでした。進路を真剣に決める時期になり、「父の様にたくさんの患者さんから愛される医師になりたい」という思いと、「病気で早くこの世を去った父の無念を晴らしたい」という気持ちから、もう一つの夢である医師への道を目指すようになりました。
ところが医学部を目指して受験したものの、どうしてもうまくいきませんでした。2度の受験に失敗した後、父のいなくなった母にあまり心配をかける事もできず、残念ながら医学部は断念しました。しばらくはその事実を受け入れられず、呆然としていましたが、父の様に患者さんに接する仕事として歯科医師の道もあると考え、歯科の道に進学する事に決めました。 |
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| ■ 大学時代〜医局時代 |
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大学時代は歯科医師の国家資格の習得を目指し、勉学に励みました。その中でも、私は特に矯正歯科に強い興味を抱きました。その理由は患者さんの口の中の環境が劇的に良くなる事に感動したからです。歯は治療で削ってしまえば元に戻りませんし、治療後の歯は寿命が短くなってしまいますが、矯正は患者さんの口腔内そのものが改善し、それが生涯持続します。また単に歯並びが改善するだけでなく。長年の口元や歯に対するトラウマや悩みが解消し、患者さんが心から喜んでくれることも矯正に惹かれた理由の一つです。
卒業後は大学に残り、矯正歯科の医局に入りました。医局に入局して3年目に母が他界しました。もし母がもっと長く生きていたら自分の好きな矯正の道を断念して、実家の玖珠に帰り一般歯科を開業していたかもしれません。しかし、母の死によって福岡の地で矯正歯科医としてやっていく事を後押しされた気がして、矯正歯科医を続ける決心がつきました。以後9年間大学生の指導や研究、患者さんの治療に専念し充実した日々を過ごしました。 |
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| ■ 開業 |
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合計で11年間大学の矯正科にいましたが、研究より患者さんの診察の方が好きだった私は、医局で知り合い結婚した現在の副院長や友人の薦めもあり、2人で一緒に天神で開業しました。以来たくさんの患者さんに来て頂いてますが、やはり最初の患者さんは忘れられません。当時医学部の学生さんでしたが、今では立派な女医さんとして頑張っていらっしゃると思います。
また思い出深いのが、私と同郷の患者さんです。毎月大分の玖珠から通院して頂き、治療を続けるうちに親しくなり、診療後に家族ぐるみで食事などさせて頂いていましたが、結婚式にまでご招待して下さいました。
式の当日、結婚の祝福を多くの人から受け、満面の笑顔の花嫁と、笑顔の口元から覗く、白く輝く歯を見て、矯正歯科医になって本当に良かったと感じました。
以後もたくさんの良いスタッフや患者さんに恵まれ、ここまで医院を続けさせて頂くことができました。その間、楽しかったことや苦しかったことなど多々ありましたし、これからもあると思いますが、一人でも多くの患者さんに本当の笑顔、心からの笑顔を届けることを使命として、スタッフ一同がんばって明るく楽しい診療所作りに励みたいと思います。 |